願わくは

「願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」
という西行の有名な歌があります。
如月の望月の日(旧暦の2月15日)に亡くなった、釈迦と同じように死にたいという意味もあるそうですが、
単純に言葉通りにとると、
「お願いがかなうなら、2月15日ごろ、満開の桜の下で春逝きたい」
ということになります。
こんな時期にこんな場所で死にたいと。
なぜこんな話をするかというと・・。
最近そんな気持ちがよく分かるのです。
伊那で土地を探していた当初はあまり深く考えていませんでしたが、
今の土地と巡り会って、土を触り、木を植えて、家を建てて、庭を考えているうちに、
自分が土地や家について、あれこれ考えて、こだわっている理由が分かりました。
それは、
「自分が死に行く時に見ていたい風景」を「作りたい」から。
私は、花の綺麗な季節に、今回作った家で、自分たちで作った庭とあの大きな山を眺めてその時を迎えたい。
自分たちで作り上げた景色の中で、苦労や工夫したこと、楽しかったことを思い出しながら・・。
漆喰を自分たちで塗ったのだって、末期に壁を眺めて「あぁ、これを塗るのは大変だったけど楽しかったな」と思えたら最高だと思うから。
だから今後もこの土地で色々いじって、作って、楽しんで、風景を作っていきたいですね。
「願わくは山端(やまは)の庵(あん)にて春死なむ 花の向こうの残雪眺めて」
お粗末・・。m(_ _)m
ちなみに西行は自ら望んだ日のわずか1日遅れで死んだそうです。

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